北海道うららか散歩

  • 宏楽園の紅葉3
    北海道に住んでいるので、うらうらと散歩中に携帯で写真とったりします。並べておきますので、和んでください。下のほうの桜が一番古いです。
2018年6月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

けんさく。

ついった

  • ついった
無料ブログはココログ

« 札幌教区が100年なんだって。 | トップページ | 教会をかざりました。 »

虐待死がありましたね

今朝はなんとか起きることができました。

何か書こうという気分にもなっているので、
スピリチュアルなことではありませんが、
ちょっと書こうと思います。
ヤフーの一面ニュースで、虐待死があったことを知りました。
覚せい剤をやっているお父さんが、息子の頭を殴って殺したそうです。
記憶にありませんといってるそうですが、まあ、薬やってハイになってたなら覚えてないのもさもありなんです。
罪が認識できなかったとして無罪になる可能性もあるでしょう。


問題は、この家庭が、以前も児相の立ち入りを受けているということです。
以前お父さんが、この同じ子供の腕を折ったのだそうです。
そのとき児相は、
・この子を今後実家で大勢の中で育てること
・児相が家庭訪問すること
などを約束し、お父さんも素直に受け入れたので、
『それを信じた』そうです。


多分一般家庭にお育ちの方は、
児相のやったことは甘かったかもしれないが、精一杯だった、と
思うのではないでしょうか。


ヤフーニュースには早くも少しコメントがついていましたが、
一件のまがまがしい呪術的コメントも含めて、
多分、虐待家庭に実際に生きている人たちと思われるものでした。
それらは大きく児相の処置の甘さを指摘していました。


ここに、一般家庭と、虐待家庭の、意識のズレというか、
認識の違いというか、
次元の違いをかんじとることができます。

うちもDV家庭で親が離婚しているのですが、
わたしが非常につらい思いをしても、母は
「家庭の恥だから決してよそで喋ってはいけない」と
子供を口止めします。
また口止めしなくても、子供は、親だけが頼りですから、
役所(イメージは警察…笑、子供ですから)に「言いつけて」、
親から嫌われたくないと思い、口をつぐみます。
それに、他人に助けることができないのを、子供自身はなんとなく
実感しているのです。

うちの姉の一人は殴る父親を殴り返しましたし、
もう一人は、母の言いつけを守らず、友達という友達に
家庭の状況を言いふらしていました。
わたしはというと、最初に友達に言ったとき、
友達がみんな作り話だと思って
「おもしろいねえ」と笑ったので、
そんなつらい思いは二度としたくなかったので、
人に打ち明けるようになったのは、父が教職を退職した後です。
おかげさまで、精神構造がゆがみました。


「おもしろいねえ」
いまでもあの友達の声や顔を覚えています。
ただ憎しみというより、
ああ、この人たちにとっては、私の家庭は、想像できないおとぎ話のような、ケロっ子デメタンの不幸とか、ミツバチはっちの不幸とかと同じなのだ、このひとたちは現実として受け入れられないのだ、とそのときはっきりと理解しました。

この認識は間違っていなかったと、昨今の児相の失敗のニュースを見るたびに思うのです。
児相の人は、多分、虐待家庭の現実を、いくら聞いてもわからないし、受け入れられないし、認識できないのです。なぜなら、自分が一般家庭で、親に保護されて、家族を信頼して生きてきたからです。そういう「健全さ」がないと、役人の試験や面接は受からないからです。
大学でちょこちょこと勉強してわかった気になっている役人ほどこわいものはありません。子供にとって最後のセフティーネットなのに、虐待家庭にある暗黒をわかったふりでなかったことにされてしまうからです。


虐待家庭で育つと、貧困の連鎖ならぬ「虐待の連鎖」が起こりがちですし、私のように精神構造がゆがむと、日常生活も困難になります。勿論しごとなんかまともにできませんし(実は女性上司に叱咤されると泣き喚くという悪癖があり、仕事場でも何度も指導されてきました。完全に母子分離不安の投影です。契約満了という形で首になっています。ニ●ティのサポセンでした。)、わたしのように運命のいたずらというか、不幸中の幸いに、「母の介護もあるから、この精神構造ではこれ以上労働は無理」という理由で生活保護が受けられた、などというめぐりあわせがないと、貧困に陥ります。ドロップアウトなんてはるか上のほうの話。


でも私は「虐待家庭に育った」というのは立派な一つのスキルだと思っています。一般家庭で「ぬくぬくと育った」(これ嫁入りのとき親への感謝でよく言う人いるよね)人たちとは、まったく違った価値観や危機感、感性をもっています。
「わたしにやらせろ」という意味では決してありません(前述のとおり、労働不可能ですので)が、児相や福祉の窓口には、最低二人、そういう「被虐待スキル」を持った人が必要だと思います。
わたしに言わせてもらえば、覚せい剤やってる父親が、なんで「約束を守る」と役人が信じたのかまったく理解できません。でも役人は信じたのです。

ここの家庭は父親もまちがいなく心に傷をもったまま大人になってしまったと思います。なぜそれがわからないのですか。
うちの父もそうでした。
母もです。
二人の間には、言語による意思疎通などありませんでした。いくら喋っても、指の隙間から「本当の意味」という砂粒が零れ落ちていくかのようでした。しまいには話もできなくなり、父のコミュニケーションの残骸である暴力だけが残りました。


信じるところから物事がはじまる、それはキリスト教徒ですから、わたしもわかっています。
けれども、あえて言います。その「信じる」は「信用する」であって、「信頼する」であってはいけません。
「信頼できる父親」なら、虐待などしないのです。
そしてああいう人たちは、概して外面がよく、結果としてウソになってしまう誓いを、自信をもってしてしまいます。まちがいなくそのときは自信があるのです。誓うときはウソではありません。でもけっかとしてウソになってしまうのです。
役所はそのことを肝に銘じなければいけません。まあ、無理でしょうけど。

繰り返しますが虐待窓口には「被虐待スキル」を持つ人間が必要です。仕事のない貧困の若者から、そういう人を探しては如何でしょうか。

« 札幌教区が100年なんだって。 | トップページ | 教会をかざりました。 »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/115031/62715199

この記事へのトラックバック一覧です: 虐待死がありましたね:

« 札幌教区が100年なんだって。 | トップページ | 教会をかざりました。 »

お出かけ・本・グルメ別宅