北海道うららか散歩

  • 宏楽園の紅葉3
    北海道に住んでいるので、うらうらと散歩中に携帯で写真とったりします。並べておきますので、和んでください。下のほうの桜が一番古いです。
2018年6月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

けんさく。

ついった

  • ついった
無料ブログはココログ

« そういえば書かなかったな。 | トップページ | 夢〜のめない水 »

おおっ、星矢君、最後まで読んだぞ

昨日ふと思い出してローソンへ行ったところ、星矢くんのリミックスの最終巻がちょこーんと売り場にのこっていました。おーよかったよかった。お金ないのでコンビニいってなかったのよね。

とりあえず買ってきました。
最終巻はすごい盛り上がりでたいそう面白かった。
しかもちゃんと完結してたんですね、聖闘士星矢は。
当時打ち切りでいいかげんにおわるジャンプものも多かった中、あれだけの大作が完結していたというのは驚きです。
最後は星矢君のあの伝説の(笑)おねえちゃんも出てきて、マリンさんがシャイナさんに「セイヤはお前が姉だと思ってたんだぞ」なんてしっかりツッコミもはいってた(笑)。忘れた頃にオトシマエつけたところがいい。

聖闘士星矢はなんだかんだ言って名作で、真面目に文学批評すればかなり面白いと思うんだけど、なにしろそういうことはしなくても十分に売れた面白さがあったので、ただギャグとしてパロディ作家たちにからかわれるだけのことが多い。また、あの作家は多分にそういうことを楽しんでいるような懐深さがあったりして、たまに雑誌のインタビューでネタばらしすることはあっても、俺はこういうつもりで描いてるんだ的なことを必死で主張したりもしない。当時JUNEのインタビューに楽しそうに応じているのを見て、怪物だなと思った記憶がある。流石、あのジャンプで長生きしただけあると思った。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ


わたしは文学は(^_^)/~~サヨナラしたので、スピリチュアルに。笑。

ハーデス編は大霊界じゃないけど、まあ、死の世界を戦いでめぐる物語だ。
リミックスのせいもあってか、はしょり過ぎの感が否めなかったが、ちゃんと冥界の王まで辿り着いている。
多くのスピリチュアリストがチベットやエジプトやインドの古書をあたってきりきり舞いで主張している世界観を、日本人の伝統的感性で冗談的に漫画でやってしまったところがすごい。
なぜって、これは、世界の子供たちが熱狂して読む種類の本だからだ。誰がこんだけあっさりと子供を説得できてしまうとうのだろう?
勿論間にうけて信仰するといういみではないが、「そういう考え方がある」ということを、なんの抵抗もなく、おもしろおかしく子供に受け入れさせてしまうのだ。すごいことである。
しかも「まにうけなくてもいい」という選択肢さえあるのである。理想的だ。

車田漫画は昔からそうだったわけではなくて、りんかけにしろフウマにしろ、単に格闘技やケンカ武術で男の子が「がんばる」だけの話だった。だけど星座物語を便宜上とりいれたことで、聖闘士星矢はスピリチュアル的な世界にダイレクトにリンクしてしまったのだ。
格闘技とか武術の類はそっち方面に通じる回路が内在している。それがうまいこと回ったのだ。

当時「女神流行」だったことが関係しているのかどうかわからないが、星矢君とこは、もう、完全に女神のパワーで物語が始まり、進み、しかも女神のパワーで物語が終る。
アテナ沙織に顕著だが、聖闘士星矢では、女が不思議なパワーでもって聖闘士をささえている…というより、「女神の力」をうけとれる・使える奴でないと、強くなれないらしいのだ。

誰でもすぐわかるのはキグナス氷河のはずかしげもない真っ向ストレートなマザーコンプレックスではなかろうか。美人のママをシベリアのつめたい海で冷凍保存している彼には、みな腰をぬかしたものである。むしろすがすがしいほどだ。
しかしさらに物語が進むと、彼の師匠であるカミユというゴールド聖闘士が、この母の亡がらを潜れない海底深くに葬ってしまう。マザコンのままではオトナになれないから、というのが多分読んだままのテーマなんだろうけど、もしかしたら、ママによりそいつづけていると、アテナのパワーがうけとれなかったのかもれない。
ママのパワーももちろん女神のパワーの一種なのだけれども、いろんな女神が複数いるわけで、一人に固執し、依存するのは多分効率とか、いろいろ、よくないのである。

「自分は未熟者ですから」と言い切ったドラゴン紫竜の場合は、仕方ないので春麗ちゃんというチャイナガールが、ゴロウホウの大滝というすばらしいパワースポットで、修道女のように無心の祈りをずっと捧げ続けた。彼女のパワーなくしてけっして彼は勝つことは出来なかったであろう。彼にはいつもゴロウホウの大滝の力と、春麗の祈りとが届き続けたのである。彼が死を覚悟したとき思い出したのも、大滝で祈る春麗ちゃんのすがたであった。

セイヤの場合は幾重にも女神の力が取り巻く構図となっている。セイヤのママ的存在は姉になる。
また、セイヤの場合は直接力を授け続けてくれた指導者がマリンという女性トレーナーで、この人には物語中ずっと、セイヤの姉の影が重なり続ける。おもしろいのはその間、セイヤの姉は行方不明となっていることである。そしてマリンは仮面をつけており、最後までそれを外すことがない。

仮面について、車田さんはどっかのインタビューで「なんかいろっぽくていいでしょ」とだけ答えていたように思うが、仮面をつけているということは素顔がわからないということ、そこには必ず誰かの影が投影されていくという仕組みになる。つまり、マリンの仮面は、セイヤにとっては、セイヤの姉がやどり、のりうつっているのと同じ効果があったわけである。

セイヤの女神はほかにもいて、マリンのライバルトレーナーであったシャイナというこれまた女性トレーナーがいる。
このひとも仮面なのだが、この人はセイヤに仮面を割られて、物語中ただ一人、瞬より可愛い女としてその素顔をさらすはめになる。
星矢君もさりげなくちょっとびっくりで「シャイナさんてけっこう可愛いんだな」などと感想をもらしていた。
「可愛い」なんていわれた激しいシャイナさんは、それ以降はツッパリつつもセイヤの守護者となっていく。
セイヤくんは一輝兄によればフェミニストなんだそうだけど、たしかに女の扱いについては心得ている。

あと最初のころは春麗の日本人版のみほちゃんという子もいたんだけどね。たぶん、日本に帰れば相変わらず孤児院にいると思います。

忘れてはいけないのがアテナのおぼえ。アテナのおぼえが一番めでたいのは、なんといってもペガサスなのである。だから彼が主人公なんである。

あまりに王道な女神をもっているのは一輝で、彼は母も姉もないが、母の代わりに、多分母と同じ顔をしているに違いない弟がいて、幼少時代はこれを代わりにしていたようだが、デスクイーン島でこれまた弟と、つまり多分母と、同じ顔をしているエスメラルダなる女の子と両思いになっており、しかもこの女の子が死んだ憤りで聖闘士になっている。まさにエスメラルダが生け贄とされた形で、彼の師匠は彼を聖闘士にしたてたのである。エスメラルダはなにせ死んでいるが、死んでいるから無敵なんである。もうまちがいなく、一輝をがっちり守護している。だから一輝は強いんである。

さらに笑いたくなるのが、一輝を守護してくれたゴールド聖闘士は乙女座のシャカだったことである。シャカは「もっとも神に近い男」として、ゴールド聖闘士の中でも異色のパワーの持ち主であったが、一輝と対戦して、一輝の株をおおいに買ってくれ、命もたすけてくれた。そのうえクロスの修復に血がいるとなれば、一輝のために瞬のクロスを修復し、ゴールドクロスが必要となると、乙女座のゴールドクロスは、一輝の為に瞬のところへ駆けつけるのである。あれまあ。

そういえば最後のハーデス編で一輝の女神はもう一人追加された。パンドラは自らの命をかけて一輝に希望をたくしている。2人目の生け贄である。
一輝は事情あってある地点が越えられなかったのだが、この女が自分の通行証をゆずってくれたのである。
一輝は「あーそうかいほんじゃ」といった態度であたりまえの顔をして、敵であり、くりかえし瞬をとりあってきた大いなる敵のこの女からその恩恵を受け取った。おかげさまで最終戦手前では、セイヤくんと肩を並べる大活躍だった。
どんな女からであろうと、その支援を引き出し、それを受け取る聖闘士が強いのである。

異色キャラの瞬だが、彼もいちおうジュネさんという意味深な名前の女聖闘士から支援をうけていた。
彼は世話になった、という話では師匠と並べて、ジュネさんの名も必ずだす。しかし彼の異色ぶりというのは、5人組の中で、彼が「許し」という女神起源のパワー(アテナ沙織がよく使う)をもっとも自在に使える聖闘士であるところにある。

面白いことに聖闘士星矢の基本グループは、普段5人ではなくて4人だ。一輝がいない状態が普通なのである。そしてこの一輝を座に加えるキーも、やはり瞬がもっている。あたかも魔神を操る巫女さんのように、瞬はピンチになると、一輝を召還する。いや、一輝が勝手に出てくるのである。
多分、これらすべて女神の技は瞬が「顔」で行っている技である。彼は、「女顔」なのだ。

一輝と瞬の兄弟は、あれは二人で1セットであり、瞬は、「男がもっている女神の力」が分離独立したキャラクターとなっている。で、残った男の部分が一輝なのだ。分離しているからそれぞれの部分が妨害されずによく機能し、ピンチになると引き合って一致団結することによって二人分の力を集める。(スピリチュアルを引き合いに出すまでもなく、昔は兄弟といえばこんなもんだった。)

まずギャラクシアンウォーズからして、長く引き離されていたこの二人が再会・再セット化の儀式が主題となっている。セット化が完了すると、暴力的で「地獄を見て一人いじけた」聖闘士の暗黒部分を代表する一輝はさっさといなくなる。いなくなるが、その後は瞬たちを遠くからつねに見守っていて、ピンチになるとぱっとでてきてばったばったと強敵をたおしていく。戦いが終ると、一輝はまたいなくなる。

兄弟の「顔」はあくまで瞬なのだ。平和主義者で非戦論者で、許し続け信じ続け、自己犠牲にすぐ走るる瞬、…しかし、一度戦いとなったら一輝が出てきて鬼神のごとくに敵をなぎはらう。くるっとお面が鬼の顔に裏返るのである。
表裏一体だからこそあの気難しいゴールドクロスが、そしてもっと気難しいシャカが、兄貴の顔に免じて弟をたすけたりするのである。
瞬と一輝の仲がうまくいくのは、たとえばサガに現れた、一人の人間のなかの白い部分と黒い部分、あれがうまく融和している状態を意味する。
一輝はすべての聖闘士の影の部分であり、影はつねに強大なパワーをもつ。それを暴走させず、必要に応じて呼び出し、必要に応じて行使できることが「強さ」なのである。

さて、すべての聖闘士の影でもある一輝は、前述のように、2人の女を心ならずも生け贄にして突き進んできた。
それが、聖闘士たちは、おおかれすくなかれ、女の犠牲のうえにやってきた、という暗喩であるとするならば、最後の戦いではこれがばっさり逆転する。

アテナがなんとなくセイヤをごひいきにしているのは、自明の理であるが、これがまた心ならずも、今度はセイヤがアテナのための生け贄になってしまうのである。
お気に入りの聖闘士の命が絶え行くのをまのあたりにしたアテナは初めてその真の力を発揮する。それは愛の力、なのだそうだが。
そうなのだ、戦いの女神アテナは、愛の力をもって「冥王」、つまり死後の世界のシステムそのものにNOを突きつけ、突き通し、勝利するのだ。(勿論勝利する。アテナは勝利の神・ニケをたずさえている。けっして負けない、いや、必ず勝つのだ。)

彼女の台詞には、面白いことに、日本人の死生観が盛り込まれている。
罪なく生きられるものなどいない、死は罪を浄化するのだ、死んだら皆同じだ、という考え方だ。
聖闘士星矢がワールドワイドになっていたことを考えれば、これはなかなかの一撃であると言えよう。
「死んだらホトケなんて考え方、どうやって外人にせつめいすんの?」などと、悩まなくていいのである。
聖闘士星矢のハーデス編をさしだせばいいのだ。
ハーデス撃破を目前に、コスモがきえゆくセイヤくんに涙し、アテナの説教も身にしみることでありましょう。

アテナはあんな気位の高い女だが、暗黒聖闘士の時は一輝を許し、黄道12宮のときはサガをゆるし、ポセイドンではポセイドンを許し、ハーデス12宮ではカノンをゆるし、…そうしてみずから命をたってエリシオンまでやってきた。
そんな太っ腹の彼女だ。

88人の聖闘士の犠牲のうえに(いやいきてるひともいっぱいいるけど…)、宿敵ハーデスを葬った戦いの女神様、いやはや、あっぱれな聖戦でございました。

…でも現世では死んじゃってるよね。
案外一輝も死んじゃってたりして…。だってあのひとどっから冥界にはいってきたのかわかんないし…。(^▽^;)

そこまでかかないのがウマイ終り方でしたとさ。

« そういえば書かなかったな。 | トップページ | 夢〜のめない水 »

「書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/115031/41540338

この記事へのトラックバック一覧です: おおっ、星矢君、最後まで読んだぞ:

« そういえば書かなかったな。 | トップページ | 夢〜のめない水 »

お出かけ・本・グルメ別宅